
コラム
「葆光彩磁への道 板谷波山」2016/10/31

陶芸家として初の文化勲章を受章した板谷波山は、それまでにない革新的な陶芸を生み出した人物として知られています。その「革新的な陶芸」とは、前近代までの日本のやきものの因習を破った斬新な造形表現、例えば彫刻による立体的な文様や、下絵によって表された創意あふれるデザイン、さらには近代科学の成果によってもたらされた結晶釉などの多彩な釉薬を使っての表現方法でありました。
表現方法だけでなく、それまで作陶家の基本スタイルである「工房での分業制作」という形態にもとらわれず、一貫して「逸品制作」の姿勢を崩さなかった板谷波山。
その徹底した美意識はどのような背景で、どのようにして培われていったのでしょうか。
板谷波山(本名・嘉七)は明治5年、町人文化が栄えた茨城県下館市に生まれました。父・増太郎は有能は商人であると同時に文人趣味を持つ数寄者で、波山は幼いころから茶道具や陶器に囲まれ、常に芸術と親しむ空気に触れながら育ちました。
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