
コラム
「ペルシャ陶を現代に蘇らせた 加藤卓男」2017/06/12
三彩とは鉛釉を使った二種以上の色釉で染め上げた低火度のやきものです。中国唐時代の唐三彩は華麗な色調で流行し、この影響を受けて日本でも奈良時代に奈良三彩が誕生しました。この「三彩」は、日本において初めて人為的に用いられた最古の釉薬です。しかし非常に高度な技術を要す為、技術者が来日して指導したのではないかといわれています。又、高度な技術を維持するのは困難であったことから、平安期に入ると緑釉だけを掛けて作られる緑釉陶器が主流になっていきました。
現代になってこの難易度の高い「三彩」の釉薬・焼成方法を8年に渡って研究し、完成させた陶芸家がいます。
1995年に「三彩」の技術保持者として認定された加藤卓男です。
元五代加藤幸兵衛の長男として、岐阜県土岐郡市之倉村(現、多治見市市之倉町)に生まれました。加藤と同じ岐阜県多治見市出身の荒川豊蔵が桃山時代の志野の古窯趾発見以来、土岐川流域の丘陵地帯に起こった発掘ブームを見て育ちました。
加藤は留学中に見た古代ペルシア陶器の斬新な色彩や独創的な造形や釉調に多大な影響を受けました。自らも西アジアで本格的な発掘研究に取り組み、滅び去った幻の名陶ラスター彩の復元や、青釉・三彩・ペルシア色絵などと日本文化の融合に成功し、多彩な作品を発表しました。その一方で、昭和55年に宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元制作を委嘱され、約9年の研究の末、「三彩鼓胴」「二彩鉢」を納入。この経験と技術を生かし、自身の創意による三彩の制作活動にも取り組み独自の領域を確立しました。
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