
コラム
「困難を乗り越え蝋型鋳造の頂点に 佐々木象堂」2017/08/21
天性の画才に恵まれながらも、経済的・身体的な理由で彫金家に転身した佐々木象堂は、25歳でキリスト教の洗礼を受け、アール・ヌーボー、アール・デコを一身に吸収し、それまでにない新しい作風を生み出した彫金界きっての重鎮です。晩年まで創作意欲を絶やさず、斬新で夢に溢れた鋳金作品を発表し続けた佐々木象堂。伝統的な作品制作から、オリジナルの作品への転換期は、「无型(むけい)」という前衛工芸家集団を結成した頃に始まりました。
河原田に生まれました。幼少の頃からひ弱で小柄でしたが、頭脳明晰で特に書と画才に恵まれ、物心ついた時から画家を目指していました。しかし家が貧しかったため、高等小学校に通いながら呉服商の奉公に出ていましたが、性格的に商人には向いておらず、18歳の時に画家を目指して上京しました。
1913年、象堂は再び上京し、アール・ヌーボーやアール・デコなどの西洋の新しい意匠を独自の視点で貪欲に吸収、作品は少しずつ西洋的な装いを見せ始めました。やがて日本の近代工芸の父ともえる津田信夫がヨーロッパから帰国し、勉強会を開くようになると、象堂は東京美術学校出身者などと毎月のように参加し、やがてそれが「无型(むけい)」という当時最も先鋭的な工芸家集団への結成と繋がっていくのでした。
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