
コラム
「相州伝を追い求めて 宮入行平」2017/09/25

日本の伝統的作刀技術が優れていると言われるのは、ある矛盾を克服した点にあります。それは、切れ味を増そうとすれば折れやすく、折れにくくすれば曲がりやすいという事で、「折れず 曲がらず よく切れる」日本刀は世界でも比類なく、金工技術史の上からみても非常に価値の高いものであるといえます。
名は宮入行平。家は代々の鍛冶屋で、尋常小学校を卒業すると家業を継いで農具や刃物作りに従事。そのうちに民具だけでは飽き足らず、刀鍛冶になりたいと思うようになり、24歳の時に日本刀鍛錬伝習所に入門しました。その頃から鎌倉時代の志津三郎兼氏の相州伝を理想とし、翌年の第3回日本刀展覧会に出品した短刀が総裁名誉賞を受賞すると、まさに鎌倉時代の相州伝の開祖である新藤五国光を連想させると高く評価されました。
しばらくは自分の意に沿わない仕事続けていた宮入でしたが、1950年に幸運にも第59回伊勢神宮式年遷宮用の御宝太刀、鉾、鏃(やじり)を鍛造するという機会に恵まれました。さらに1953年には「美術刀剣類制作承認規則」が制定され、美術品としての刀剣制作が許可されることになりました。
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