
コラム
「江戸時代から続く肥後象嵌を継承 米光光正」2018/01/15

「肥後もっこす」
一度決めたら決して曲げない。頑固一徹。武骨な熊本県の県民性を表した言葉です。
肥後象嵌を極め、「肥後象嵌・透」の技術保持者として人間国宝に認定された米光光正は、激動の時代を耐え抜き、15歳から80年近い年月を「肥後象嵌・透」一筋で歩んできた、正に「肥後もっこす」な性格の金工家でした。
田辺家で生まれました。幼い時に父と死別し、15歳から祖父で金工家の田辺保平と、母の弟で同じく金工家の吉太郎に師事。熊本に旧藩時代から伝わっている「肥後象嵌」の技法を修得する傍ら、月一回の休みには絵画や書道、生け花なども学び、教養を深めました。
戦時中は金地金の使用を禁じられ、軍需工場に徴用されたりもしましたが、根っからの「肥後もっこす」の精神でどんな苦境にも耐え抜きました。やがて長かった激動の時代は終わり、平和な世の中が戻ってくると、さらにその腕に磨きをかけ、1959年には熊本県無形文化財に指定、1965年は重要無形文化財「肥後象嵌・透」の技術保持者として人間国宝の認定。さらに翌年には勲五等旭日章を受章しました。米光78歳の時でした。この頃から円熟期に入ったと評され、86歳の時に制作した「八木瓜形鉄地八つ蕨手透二重唐草象嵌鐔」(※画像参照)は、円熟の極みといえる会心作で、表裏全体に緻密な唐草模様を金象嵌で流麗に施されています。
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