
コラム
「激動の時代に生きた金工師 加納夏雄」2017/10/23

明治4年。明治維新により幕藩体制が崩壊し混乱を極めたこの時代。明治政府は開かれた日本を目指す制作の一環として、それまでの小判や穴銭などの貨幣に変えて、近代的な洋式貨幣をこの年に発行しました。
当初、明治政府は硬貨のデザインを英国に頼む予定でした。しかし造幣局建設主任ウオールトスは、贈られてきた見本の完成度の高さに依頼を辞退したといわれています。龍の彫刻が施されたその見本を制作した人物こそ、後の帝室技芸員となる加納夏雄です。
米穀商伏見屋の子として生まれました。幼くして刀剣商加納治助の養子となり、ごく自然に刀剣の鍔や柄の美しさに魅せられて自ずと鏨を握るようになりました。その才能を養父母に認められると、わずか12歳で彫金師奥村庄八に師事、さらに14歳で円山四条派の絵師・中島来章のもとで写生を学び、19歳で金工師として独立して夏雄と名乗り京都に開業しました。
1854年、加納が27歳の時に事業の場を地元京都から江戸に移し、弟子達を指導する傍ら、自身の腕を磨く事にも取り組み続けました。
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